より善きババアへの道

ひねくれオタク女が唯一の強みである「若さ」を失った後にもこの世に居場所を見出すため孤軍奮闘する日々。

自分の扱い方について本気だして考えてみた

気がつけば9月ですね。
夏休みとったり出張の準備しているうちに、前々回のエントリであんなに恐れていた秋がやってきてしまった。
と言ってもまだしばらく暑いらしいし、全然秋服のことなんて考えなくていいって!なんて自分を慰めてたら、先週めっちゃ寒いでやんの。
思わず楽天スーパーセールでストールとか厚手のスカートとか買いあさったよね。うん、気づいてると思うけど、これ散財の言い訳ね。
楽天カードのCMを見るたび、どうにも煽られてる気分になるのは自分だけなのかと気になってる私です、ごきげんよう。

前回のエントリで愚痴ったように、何だかこの歳になって周りにいる人と自分との価値観の違いが顕著になってきたように感じる。
もともとひねくれ者で天邪鬼な私は付き合える人というのがものすごい少ない。友達とワイワイウェーイするくらいなら閉じこもって本読んでたいタイプであるのに加え、友達の友達は友達精神も持ち合わせていないので、「友達」のハードルがめっちゃ高い。
だからこそ、相当「合う」人とじゃないと付き合いがもたない。でもそうなのそれなのに今このざまなのざまあああ。数少ない友達にうっかり幻滅してるわたしざまあああああ。

でももう私もいい大人で、そんな人の事選り好みしていられるような状況にはいられないのかななんて思ってる。
一緒にいると疲れる人とかモヤモヤする人と付き合う必要は感じないとして、付き合えるタイプを明確にいて広げておいた方が友達人数先細りなんてことにならないんじゃないかなあと。
でも私より友達ずっと多い人に聞いても、やっぱり社会に出てしばらくすると、年収の差とか配偶者や子供の有無とかによって価値観が変わってくると話が合わないなんてことはザラにあるらしい。
そういう話を聞くと、じゃあまあ、そういうことなのかなあとふに落ちたり落ちなかったり。

自分の周りにあるものごとの優先度を決められる人、それを実行できる人ってのが最低ラインなのかなあ。私の場合。
デモデモダッテちゃんの話は聞かなくていいんだろうか。聞きたくないから聞かなくていいか。

友達いないくせに、いっちょまえに人間関係に疲れてる私でした。

プッチンプリン

不倫は文化、という言葉を使った人間がいる。
その発言があったのがいつ頃だったかよく覚えていなかったけど、確か当時私はまだ義務教育中で、不倫なんてものはフィクションの中と芸能界にしか存在しないものだと信じてた。
だから単純に、「もてるってのはいいけど浮気は良くないよなあ」なんて考えたりした。
その頃の無垢でピュアでアジアの純情真っ盛りな私に教えてあげたい。
あなたはこの先十年弱、不倫をする人間に振り回され続ける人生送るのよ、と。
そんなかんじで、2ちゃんねるの家庭板まとめが大好物な私です、ごきげんよう。
不倫も麻薬も、ラリっちゃうのは良くないと思います。

不倫がこの世に存在するんだ!というショッキングな現実を知ったのは高校生。その時は私は受験生。
同じクラスのナントカちゃんのご両親が離婚〜とか、学校のナントカ先生とナントカ先生が怪しい〜とか、そういうレベルの遭遇ではなく、なんと不倫してる人間がうちにいた。親だった。母だった。
うちの両親というのは基本的に不仲で、二人が仲良さげに見えていたのは幼稚園の頃まで。スーパーファミコンボンバーマン3を夜な夜な両親がやっていて、時折ピクピク動く二人の方をウイを絡みながら、何となく嬉しかった記憶がある。
よくよく考えたらなんで結婚してしまったのか理解できない夫婦なんだけど、そんな仲の悪い二人をみても、まあどこの家もこんなもんなんだろうくらいに思ってた。今ならわかるけど、口きかなかったり怒鳴りあったり、そんなことばっかりなのは世間的にみておかしいんだよね。
父は仕事が忙しくて家に帰ってくるのが遅い。そんな父に母が、そういう時は父方に実家に泊まればいいと提案していた。その方が職場に近いからって。確か高校一年生の終わり。その辺から母の暴走が始まる。
母はもともと飲み会好きのDQNなのだったのだけど、明らかに数が増えた。一回帰ってきて、ご飯作って、出かけることが増えた。相変わらずちゃらんぽらんな人だな、なんて考えてた、ある日「会社の同僚からもらったライター」を見せられた。デザインを見ると、二つで一つの模様になるペアライターだった。でも母が持っているのは一つだけ。お揃いがいいっていうからさあ。安いワインでベロベロに酔った母が笑う。ラリパッパー。
多感なお年頃の娘には、あまりにショッキングな現実だった。

その一年後、私の大学進学の後に両親は離婚した。
理由は知らない。調停をしたのかしてなかったのかも知らない。
離婚のちょっと前に離婚の報告があったり、父が帰ってこなくなったり、色々あったけど、なんかもうよく覚えてない。
夜な夜な母とペアのライターを持つ「会社の同僚」の話を聴き続けたことばっかりが残ってる。この世の中には確かなものなんてないんだ、と生命保険のCMみたいなことを感想を抱いて、己の命に絶望した。

その後私は家を出る。
でもある日実家の古いパソコンを取りに行くと、知らないおっさんがリカバリをしていた。
会社の同僚のなんとかさん、と紹介されて、ああライターの人だと気がついた。挨拶しなさい、という母を無視して頭痛と吐き気を理由によるまで寝た。目が覚めた時、おっさんはいなかった。

その辺から、帰ってこいという母に反発して帰省をなかなかしなくなる私。
とうとう逃れなくなったある日、実家のドアを開けると知らないおっさんが酒を飲んでいた。おお、おかえり!おっさんは快活に笑う。おっさんの横で座ってテレビをみている弟たちの顔は能面のよう。
そしてとうとう私は家を母を諦めることにした。

社会に出て親と絶縁し、ひどい時には荒れまくっ他反動のままバカみたいに酒を飲んで、友達や後輩たちの前でひっくり返ったりしてた。
唯一それとなく事情を伝えていた友達は、そんな私に呆れることなく介抱してくれて、何も言わずにいてくれた。
両家のお嬢さんで、頑固だけどしっかり者で、私のよき理解者だった。信頼していた。信頼されている自負もあった。

先日そんな十年来の友人に呼び出されて、不倫をしていると告白された。
詳細は省くがかなりのっぴきならない状況で、猶予期間もかなり短く、状況は考えうる限り最悪だった。
相談したい。彼女が話し出す。どういう状況にあるか、何が起こっているか。聞きながら目の前がぐるぐるしてくる。気づいた怒りで指先は震えていて、目からは涙がこぼれていた。
友人と分かれ帰りの山手線に乗り込んで、号泣した。そこそこ混んでる時間帯だったのに私の両隣の席に誰も寄り付かないほどの号泣だった。
遠ざけた母がまた現れた。絶望のどん底に落ちた高校生の私が帰ってきた。ラリパッパー。不倫相手のことを語る友人は、私の知らない女だった。

そんな風に、やたらと身近な人物がプリンちゃん(家庭板だか生活板では不倫をしている女性をこう呼ぶ)になりがちな私。
友人の一件からは自分の価値観がぶれにぶれまくってて大変で、毎日毎日家庭板まとめを読み漁っては、見知らぬプリンちゃんたちが慰謝料を背負い職を失い信頼を失墜させる様子で溜飲を下げていた。
私の心情としては、

ラリってる母親憎い!許すまじ!
⬇︎
一番信頼してた友達がラリった!お前も母親と同じか!
⬇︎
でも身近な人が二人も不倫した。もしかしたら不倫は良くある話なのかもしれない。
みんなしているならここまで怒ることでもないのでは?
怒らないでいいことなら、こんなに二人を憎まなくて済む!!!!!
⬇︎
不倫は悪いことじゃないんだ!!!⬅︎ここに行きつかないために不倫話を読み漁り揺らぐ価値観をなんとか保ってる

実際こういう考え方になっているのに気がついたのは昨日のことで、こうなってるんだとわかってないうちは本当にしんどかった。最初はただカタルシス感じられるから読んでるんだと思ってたけど、よくよく掘り下げたらかなり根深い問題だった。忘れないようにここに書き記しておく。

なんでそういうラリパッパなことになっちゃうのか、私は本当に理解できない。でもそれがすごく怖い。
不倫なんてしないと思ってた彼女らが不倫をしたのだから、もしかしてなんかのはずみで私もしちゃうの!?なんて実態がわからないから変に不安になったりしてしまう。
でも理解できたとしても、理解できるなら私も・・・なんてどっちにしろドツボにはまりそうな気もする。
ああ、良くないなあ、不倫。
いつの日かプリンちゃんたちを私の手でプチンと握りつぶすことができれば、この憎しみを手放すことができるんだろうか。
本当に、生き辛くて嫌になる。

コンサバイバル

唐突だけれどこの歳になって、どんな洋服を着たらいいのかわからなくなってきた。
仕事着もそうだし、オフできる服も。
仕事は外回りが主なので入社して一年ほどはスーツで過ごしていたんだけれど、スーツって動きにくいし手間もかかるんで、ある時からやめた。
それからは、地味な格好にジャケットみたいな組み合わせで過ごしてきたけど、夏だとそうだと行かないし、何より芸が無い。
オフはオフで生足出すとみっともないし焼けるしな〜とかなんとかぶつくさいいながら、楽天で買ったマキシ丈のワンピースをヘビロテ。妊婦に間違えられて席を譲られる日も近い。
そんなかんじで、来たる秋冬に向けて絶賛もんもんとしている私です、御機嫌よう。

ファッションって難しい。
毎月ファッション誌を買って読んでるけど、一向におしゃれになれる気配がない。っていうか、おしゃれって何さ。なんなのさ!
自分には何色が似合うかもわからなくて、以前パーソナルカラー診断に行ったことがある。
診断はスプリングで、明るくて黄色みの強い発色のいい色が似合いますよ!と教わり衝撃を受けた。
今まで、「好きだけど似合わないだろうなー」と思ってた色が似合うと言われた時のあの喜び。髪も明るくした方がいいとのアドバイスに踊る胸。それと同時にいかに自分が可愛い色の服とか若々しい茶髪とか、似合わないと信じ込んでたかを知った。
先日待ち合わせて買い物に行った妹に、髪も伸びて茶髪になって、可愛い色の服着てるから誰だかわかんなかった、といわれた。私になりに好きな格好して行った日だったので、その日は一日浮かれてなんか色々買い与えてしまった。私ちょろいな。
似合う色やら柄がわかって、どういうイメージに持っていきやすいのかをしれたのでとても有意義だった。なにより、我慢してた自分の好きな色の服を着てもいいんだ!と自信さえついた。自分のセンスに自信ない人にオススメ。

でもそれとこれとおしゃれは別。
似合う色がわかっても、おしゃれにはなれない。
おしゃれって組み合わせ方なんだよー。
工夫なんだよー。
全然わかんないんだよー。

どんな色のスカーフを買えばいいかわかっても、巻き方がわからない。
髪を伸ばして染めてみたけど、アレンジの仕方がわからない。
わからないことが多すぎる。この世は謎に満ちている。
コンサバでいいじゃんとかいうけどさー。
コンサバってのがまずどんな感じかわからないんだよー。
ちくしょー。

そんな風にうだうだやってたら、もう秋は目前。
パーソナルカラーが春の私にとって天敵の、くすんだ色が似合う季節がやってくる。
私は秋冬に着る服の最適解を見つけることができるのか。
それとも似合わないけど無難な服に逃げてコンプレックスに苛まれながらさげぽよな気分で街を歩くのか。
戦いはもう、始まっているのである。

虹(のライブ)を待つ人

 

 

 

 

 

 

 

縁あって、BUMP  OF  CHICKENの全国ツアー千秋楽@東京ドームに行ってきました。

シーズンまっさかりにドーム借りれるってすごいな!と思ってたら、MC中何度も、ドームがなかなか借りられなかったこと、設営とバラしをスタッフは一日でしなければならないことなんかの苦労と感謝を語ってて、やっぱ東京ドームでのコンサートって色々難しいんだなあと思いました。小並感。
 
以下ネタバレ&にわかファンの戯言注意
 
ライブの感想といえば、うん、「よかったよー」って感じ。
 
バンプといえばフラッシュ全盛期の時代に中高生を中心に人気爆発したバンド。
御多分に洩れず私も中高生時代狂ったように聞いてた。
入りはラジオで聞いたsailing day。中学生の時、自室でラジオ流した聞こえてきた。劇場版ワンピースの曲。
高校生の時にはorbital periodってアルバムが発売されて、クラスの友達と聴きまくってた。
<バンプには、普通のバンドでやりがちな恋愛曲があんまりない。多分ほとんどない。
曲のテーマは人付き合いだったり、夢だったり、アイデンティティだったり、そういう思春期の少年少女が躓きがちなものが圧倒的に多い。弱ってる時に聞くと、泣けるんだこれが。
私の十代なんて暗い話しかないし、私自身そりゃもう鬱々と生きていたから、バンプの曲がクリーンヒットしまくりで本当にやばかった。聞きながら何度泣いたことか。未だに泣く。
そんな青春時代をともにしてきたバンプなので、急遽ライブに行けることになった時には本当に嬉しかった。ここのところ忙しかったんだけど、その日を支えになんとか乗り切れた。
当日もそわそわして仕事が手につかなかったし、定時ダッシュまでした。
正直、ハードルあげすぎた感がある。
 
というか、ツアーファイナルなのに始めてのライブ参加っていうのも、まず良くなかったんだと思う。
全体的に、今までのツアー全行程を踏まえて、ファイナルは初めての東京ドームで〆る!って感じの構成だったし。ツアー中にやらなかった曲をやるよーとか、そういう。完全にはじめましての私には、ちょっとハードル高かった。
それでも、CDでずっと聞いてた藤君の声はそのままで音は生だし、なんならオープニング映像で聞こえてきたギター音で号泣した。だってギターの音が超バンプなんだもん。超ジャキジャキいってるんだもん。私の青春時代を、辛かったことを、バンプの曲聴いて乗り切ってきたことを思い出して超泣いた。一緒に行った友達引いてた。ごめん。
昔の曲も何曲かやってくれて、メーデーなんかドンピシャだったからすごく嬉しかった。
ただ新譜まで聞いてたものの、あんまり好きだと思える曲がなかったから、ほとんど初めて聞いたような曲も多かった。
新譜で唯一好きなRAYは突如現れた初音ミクさんのおかげで全然頭に入ってきませんでした。でもボーカルで作詞作曲の藤くんはすごく満足そうな顔してたから、そういうもんなんだろう。いや、それにしてもさあ、コラボしたからってさあ、突然あの電子音聞こえてきたら置いてけぼりになるよ。面白い演出だと思うけど。
 
そう、演出はすごくよかった。
 
曲に合わせて参加者一人一人のLEDバンドが光って、上の方の席からみてたら本当に星空みたいで素敵だった。すげえわさわさ揺れるから、若干酔ったレベル。東京ドームがプラネタリウムになってた。
モニターも何台も用意されてたのも印象的。演奏中のメンバーだけじゃなくて客席を何度も何度も映してて、会場全体をうまくまとめて盛り上げてたと思う。「ここでライブに参加してる!」っていうのをすごく強く感じられた。
バンプ曲には大体の場合「僕」と「君」登場する。
今回のライブでは、『「僕」はもちろんバンプ自身だとして、「君」っていうのは!!!今聞いてくれてる君たちなんだよ!!!』っていうのをメッセージで今彼らは発してるんだなあというのを強く感じた。その訴えに応えるように画面に移されるリスナー(バンプファンのこと)はキラキラしてて、熱に浮かされてて、すごく楽しそうだった。漠然と、私の入り込めない世界に見えた。
「僕」と「君」の関係が完全に成立した東京ドームで一人、私は自分勝手な孤独を感じた。
 
あとびっくりしたのはメンバーからも、ファンからも、すんごくアットホームな雰囲気が出てること。
いつもみにいくバンドとの違いに愕然としたわ。
いつもみにいく、バンドは、すごく有名なバンドなんだけど、なんというか、L'Arc-en-Cielなので、毛色がちがいすぎるけどさ。
 
L'Arc-en-Cielのみなさんは、こう、「今日は来てくれてありがとう!!!今日は!本当に!ありがとう!!!」みたいな感じほとんど出さない。
「どや?かっこええやろ?ん?せやろ?わっかてるならええねんで?今日も貢げよ?」な感じ。すごい不遜。ファンのことを勝手に残高が増えるATMか何かだと思ってそう。だがそれがいい。むしろそれがいい。
そんなよく調教されたラルオタ(ラルクファンの意。公式でかっこ悪いから名乗るなと言われている)なので、「ココで聞いてってくれよな!」と言いながら自分の胸を指し示すようなMCをされると、全くもってついていけない。感動するところなんだけど無理だった。慣れてないから受け付けない。もっとぞんざいに扱われたい。MCも感謝の気持ちじゃなくてしょうもないことを話して欲しい。どうしようもない下ネタを披露して欲しい。お辞儀されるよりバナナ投げて欲しい。(バンドリーダーのteysuyaがバナナ投げるパフォーマンスが恒例)
あんまり大事にされると困る。
そこまで感謝されるほどなんかしてないよ、私、ってなる。
完全に私側の問題なんだけど、かやの内側に入れなかったのが、期待したほど楽しめなかった原因。
私の青春って、もう終わってしまったんだなあ、本当に。
こんなところで自分がババアになってることを強く感じるなんて思わなかったよ。妙に現実を直視してしまったわ。
 
ああ、ラルクのライブ、次は何年後なんだろう……。

ストレスを爪の先に塗って

ペディキュアday (通常盤)

ペディキュアday (通常盤)

無趣味無趣味と自分のことを言っているけど、どうやらネイルは趣味っぽい。
きっかけは去年の秋の引っ越し。作用卓の導入に伴いセルフジェルネイルを始めた。
ライト買ったり、プチプラのジェルネイルやパーツを通販したり。
引っ越し前もマニキュアを集めて塗り替えたりはしてたけど、やっぱり乾くまでの時間がネックで、結局ジェルに落ち着いた。
こまめにやらなくていいし、爪が丈夫になるからズボラな私にはあっていたんだと思う。
昨日もネイルチェンジをした。久々にうまくできて、今日は一日指先を眺めてニヤニヤしてる。乗せたストーンがキラキラ光って超可愛い。私自身じゃなくて私の爪かわいい。自画自賛。とはちょっと違う?
こんな喜びを感じられる日が来るなんて、多分五年くらい前までは思いもしなかった。

実はもともと、爪を噛む癖があった。

子どものころからずっと。ずっと親や親戚から注意され続けてきて、更には友達からも「いたそうだからやめなよー」と言われてきた。
どうしてもどうしてもやめらなかった。やめようと思って何度も何度も挑戦したけれど、伸ばしていても割れてしまうことが多くてすぐに断念してばかり。多分爪が長かったことがないから、育ちにくかったんだと思う。今でも十分薄いけど、高校生の頃なんて本当にぺらっぺらだった。

そんな状況から抜け出そうとしたのが、たしか社会人一年目の秋だか冬。

思い立った理由は色々あった。中でも大きい理由が二つ。
一つは仕事柄手元を見られる機会が多くて、いつも恥ずかしかったこと。下手したら書類に血をつけたりしちゃってて、それがすごく嫌だった。やっぱり毎日のことだから、どうにかしたいなあと思い出したのがきっかけ。
もう一つは、子どもの頃のストレスがきっかけで爪を噛む癖がついてしまうことが多いと聞いたこと。
何回かこのブログでも書いているように、うちの母、まあよく考えたら父もだったんだけど、あんまりいい両親ではなくて、少なくとも私とは反りが合わない人たちだった。
家を出る前は散々な目にあっていたし、大学時代は散々やりあったし、就職する時は両親に何も言わずに色々進めて決めたりしてた。
そんなことがあった後なので、今だに親から受けたストレスが原因でついてしまった癖で、さらに自分が自分にストレスを与えてるっていうのが如何にもこうにも嫌になった。一回リセットしたい。そんな気持ちが吹き出して、変化にビビる私の背中を押した。

ググって見ると「深爪矯正」って割といろんなところでやっている。
まとめサイトに載ってる経験者の人の話なんかをみながら、比較的家から近いネイルサロンに相談のメールを入れた。
現状の写真を送ったり、時間の調整をして迎えた施術初日!

親から召集命令がかかり、サロンに行けなくなってしまった。

もうこれはもう、激おこってもんじゃない。しかも呼び出された理由も理由で、どうにもこうにもならない私の絶望は日暮里の駅で吐きまくるほどだった。駅員さん、あの時は本当にごめんなさい。
でもまあこれがきっかけでいよいよ親と疎遠になる決心がつき、意地でも「気が利かなくてデブスな私」から変わってやろうという意志を持てるようになったので、吐いたのも無駄じゃなかったと思いたい。
そんな逆境があったのだけど、ネイリストさんの好意で翌週の同じ時間に施術をしてもらえることになった。
確かそれから三ヶ月か半年弱、矯正をしてもらった。

最初はスカルプという、ジェルにアクリルの粉を混ぜたもので人工爪を作って長さを出してもらった。
人工爪はアクリルなので、分厚くてぷっくりしている。これなら噛みたくても噛み切れないし、剥がしたくても生爪ごといきそうでできない。
この状態でまずは「噛まないこと」に慣れていきましょう、というところから始まった。
手のひらから指先のその先に、爪の頭が見えたこあの感動は今でもよく覚えている。生まれて初めての光景で、なんだか現実感がなかったけど、すごくすごく嬉しかった。やっと人間になれた気がした。
それから毎月、はがれかけてくるとネイルサロン行って施術してもらう。
私の場合はスカルプは最初だけで、あとはジェルでの補強がメインになった。
元ひどい状態から施術を始める人もいるし、中には辛抱ならなくてジェルであっても噛み切ってしまう人がいるらしい。
私は幸いにも年齢が若かったからか、補強さえしていれば順調に爪が伸びてくれた。
ネイルサロンにいくたびに、ボロボロだった指先が綺麗になっていく。
桜貝色に色づいた雫が、指先に乗ったまま固まったみたいにぷっくりツヤツヤ。
飽きもせず、毎日毎日ながめてた。人並みに慣れたことが嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

今も自分でネイルを仕上げた後、ニンマリ満足感に浸りまくっている。
楽天で買い漁った色々な色のジェルを混ぜたり、そのまま塗ったり、スタッズでリボンを作ってみたり、綺麗なストーンを集めて固めたり。流石にプロほど上手にはできないけど、そこそこの仕上がりにはなるし、自信作の時には人に見せびらかしたくなる。
前までは、指先を見られるのが怖くてしょうがなかったのに!
さらに、大雑把な性格の割りにちまちました作業ゲーが好きな私には、セルフネイルというもの自体と相性が良かったようで、いいストレス発散にもなっている。
常時ごちゃごちゃしまくっている頭の中が、もくもくとネイルをする時は空っぽになる。そりゃうまく行かなきゃ暴言も吐くけど、基本的にはすごく楽しい。多分、牧場物語で延々作物育ててるのと近い楽しさ。
うーん、やっぱりこれ、趣味って言ってもいいのかな。

なんかもやもやした気分の時、だいたい指先もささくれてる。そのままだとささくれた指先をみて、さらにもやもやが加速する悪循環に陥ってしまう。
そういう時には、爪を噛むんじゃなくて、ジェルネイルで指先をぷっくりツヤツヤキラキラにしてあげる。
何層も重ねるジェルの間に、嫌なこととか悲しいこととかを閉じ込めて、固めてしまうのだ。
そんな風にして出来上がったネイルはキラキラしてて、あまりの可愛さにもやもやなんて吹き飛んでしまうもんだ。
ジェルの間に隠したストレスだって、一ヶ月もしないうちにジェルごとペロンと剥がれていく。
ストレス社会に生きるアラサーOLの、そんなマニキュアday。

This is love

前回のエントリで前田のあっちゃんが神々しいって話を書いた。
まさか昨日一昨日と27時間テレビをみながらまた似たようなことを思うとは。
SMAP様、最高に神々しかった。

私が物心ついたころ、もうSMAPはトップアイドルだった。
家族で乗る車のラジオからはいつも曲が流れてたし、
学校では慎吾ママのおはロックを歌ったり踊ったりリコーダーで吹いたりしたし、
いとこはキムタクのドラマを録画しまくってたし、
給食の時に「俺の胃袋は宇宙だ」とかやったりしてた。宮沢りえ可愛かったなあ。
そう言えば、妹が生まれた時、中居君のドラマをみてた。確か「伝説の教師」。オレはタナBだ!の回だった。
なんだかよくわからなかったけど、スマスマは大人のテレビって感じがしてて、ロート製薬のあのCMが流れると早く寝ないと!と焦った記憶がある。ウィームーッシュってなに?と親に聞いた記憶もある。

当たり前にずっとテレビの中にいた人たちだから、結成何年とか、メンバーが何才だとか全然気にしてこなかったけど、27周年なんだってね。中居君ってもう40歳超えてるんだってね。
そりゃ私の記憶にずっとSMAPいるわな。私が生まれるよりも前にSMAPだったんだもん。
それで今でも第一線張ってるんだから、化け物だよな、あのおっさんたち。

実はちょっと前まで、SMAPが苦手だった。
子供の頃は良くテレビでみてて、当たり前の存在だから好きも嫌いもなかったんだけど、思春期に入って、周りの人たちとの好きなものの違いが際立って、ドラマとかそういうのが苦手になったのがきっかけなのかな、なんとなーく、こっち側じゃなくあっち側を楽しませる人、みたいな認識になった。
私が楽しいなーってことはしてくれないんだろうな、って感覚。
テレビで見るちょっとすかした感じとか、悪ノリする感じとか、怖いなーって思うようになった。
いわゆる、リア充の嗜好品なんだろうと思ってたんだよね、今考えると。

それが変わるきっかけは、ネットでも超話題になってた、スマスマの「SMAP五人旅」。
もうAKBにもはまった後だし、ジャニーズ好き!って軽い気持ちで言えるようになってたから何と無くみれてた。
今や同じ番組に全員揃うことすら珍しい五人が、なんと、サプライズで一泊2日の旅行をするっていう企画。嫌そうな顔をしながら用意された車に乗り込む五人をみて、芸能人って大変だなーとぼんやり考えた。つよぽんと慎吾ちゃんは仲良いけど、基本的に仲悪い人たちだって聞いたことあったし。
でも大阪でスーパースターがふっつーの鉄板焼き屋に入ってご飯食べたり、USJにいったり、温泉入ったりするのは面白かった。オールキャラの同人誌とか、シリーズ混合のお祭りゲームとかをみているような気分だった。
その上夜にはカラオケに行って、酒飲んでうだうだし始めるの。国民的アイドルが本当にただのおっさんみたいなことしてて、不覚にも萌えた。でもつよぽんはひとり烏龍茶を飲んでて、その辺はやっぱりプロだ。
そしたらSMAPメドレーが始まって、なんのきっかけかBest friend歌い始めて、嘘みたいに中居君が号泣し始めた。森君が脱退した時のことを思い出すとかなんとか。
面白がってみんなして何度も何度も同じ曲歌って、中居君はずっと泣いてた。そして何回も、「俺SMAP守れる絶対守る」とくりかえしてた。
お調子者で、悪ノリがひどくて、横暴で、声が大きくて田舎のヤンキーそのまんまの中居君が漫画みたいに泣く姿に、思わず私ももらい泣きした。
SMAPのことなんて、もうなくてもいいと考えてる人だと思ってたのになあ。グループがなくても余裕で芸能界生きられる人のはずなのに、彼にとってSMAPは何をしても何があっても守りたいものなんだと知ったらもう、泣くしかないよね。嵐みたいに仲良しこよしなわけじゃない。AKBみたいにグループがないと夢が叶えられないわけでもない。
それなのに、中居君はSMAPを守ってる。

そんな中居君率いるSMAPは、先日の27時間テレビで45分03秒ノンストップライブに挑んだ。
それまで飛び飛びで、相変わらずつまんねーなーなんて愚痴りながらみてたけど、さすがにリモコンをいじる手を止めた。
もう一日寝てないのに、ライブすんの?45分?は?しかもノンストップ?
いやー、無理でしょ、が第一印象。バンドだってMCやったり、一幕二幕区切るとかして二時間やって最高に体力消耗するのに。踊るんだよ、アイドルだから。歌はまあ、被せだとして。
それと同時に、でもまあ、押しも押されぬSMAP様だから、ちょっとフリを甘くしたりバラードで時間稼いだりしてそつなく終えちゃうんだろうな、とも思った。というか、最悪生中継と歌った録画じゃないかね、とも。

始まったらもう、そんなこと考えてた自分が恥ずかしくなった。

もうね、激しい曲がずっと続くの、ノンストップで。中居君なんか最初からキレキレで、みてて怖かった。どっからそんな体力出てくるのかわからなかった。
どうせ歌も〜なんて思ってたけど、少なくともソロパートがある部分はメンバーがその場で歌ってる音だった。マイクがちゃんと入ってる。かがんだり飲み物をとる時に、マイクが何にぶつかった音がテレビから聞こえる。SMAP、マジで歌って踊ってる。鳥肌たちまくりだった。
アップテンポでダンスがハードな曲が続いて人気曲のメドレーも挟んで、それでも残り時間は30分。
この辺からもうみてられなかった。
45分長すぎる。ノンストップがノンストップすぎる。水を飲む暇もほとんどない。
そうこうしているうちに、中居君がふっと位置を外れたり動かなくなりし出した。肩でいきをしながら、しゃがみこんだり水を飲んでる姿が目立ちだした。
ボロボロな中居君の背中を誰かが優しく支える。ごろうちゃんだった。ずっとずっと横目で気にしてる。
もういいよ!やめようよ!!テレビに向かって訴えてしまう。
もう十分かっこよかったし、SMAPの曲たくさん聞きたくなったし、感動した。私でさえこうなんだから、きっとSMAPファンの人たちは息もできなかっただろう。
でも、他のメンバーは汗を飛び散らせてキラキラした笑顔で踊ってる。気づいたら中居君も戻ってきててセンターでキレキレダンスしてる。
ここまで彼らを突き動かすものってなんなんだろう。
飛び散る汗と、オーラの量が半端じゃない。オーラの泉どころじゃない。吹き出してる。石油みたいに。
後半に差し掛かって始まるCrazy five  。ライブで定番らしいこの曲は、メンバーたちが順繰りバトンを渡すようにパートを回していくメンバー紹介曲。こういうの、他のジャニーズのグループでもあるのかな。あるんだったらすごく聞いてみたい。
まず、中居君からキムタク(!)へ、キムタクからつよぽんへ、ツヨポンからごろうちゃん、ごろうちゃんから慎吾ちゃん、そして慎吾ちゃんから中居君へ。
大サビ前にはつよぽんのソロパート。メンバー四人に囲まれて、その両肩に手をかけられながら歌い出す。「過ちをおかし続け それでも信じてた……」。つよぽんの瞳が涙に潤む。

もうダメだってこういうの、好きになっちゃうじゃん!!!!!!
というか好きになっちゃったじゃん!!!!!!!やめて!!!しんごー!!しんごーーーーー!!!!!

何が恐ろしいって、後から調べてみたら、作詞、中居くんなんですってね。SMAP愛に溢れまくってて辛い。

最高潮の盛り上がりのままセットリストは終わりに近づいていく。
最後から二曲目、Best friendではやっぱり中居君がないていた。苦しいからか、その曲だからかわからないけど、たまに映る帽子の下の顔はぐしゃぐしゃだった。

45分03秒のライブをやり切ったSMAPを待っていたのは、このまま歩いてフジテレビ社屋にもどれという指令と、脱退したメンバー森君からの手紙だった。
一人一人へメッセージがあって、順番に読まれていく。
いつも目が笑ってなくて感情が全然読めない慎吾君の目が、慎吾君宛のメッセージが読まれている最中は揺れてたのが、すごく印象的だった。
木村並んで行こうぜ、と声をかける中居君をガン無視してずんずん進んでいくキムタクが、なんだかんだ最終的には五人横並びになって歩いているのにはきゅんとした。

そんな感じでSMAP様たちの27時間テレビは幕を閉じた。

定期的に解散説の出るSMAPだけど、きっと解散はしないんだろうな、と思わせる27時間だった。
慎吾くん曰く、初めて解散話が持ち上がったのは、森君脱退の時だったそうだ。それもなんと中居君から、「もう解散しようか」という言葉がこぼれたらしい。
今やトップスターなSMAPだけど、ここまで来る道のりは平坦ではなくて、むしろ困難の方が多かった。それでも続けて、現在に至ったSMAPの物語が、神話でなかったらなんなんだろう。

アイドルってすごい。生身の人間が現実の時間を使って現実を舞台に物語を見せてくれる。
女優俳優お笑い芸人、芸能人って色々な人がいるけれど物語を体現できるのはアイドルという人種だけじゃないかな。絶対的に演者で、あっち側の世界の住人。それがアイドル。

ともかく、この土日でSMAPを見る目がまるっきり変わってしまいました。
SMAP様は分け隔てなく全てを楽しませてくださることにきがつきました。
早速今夜からHEROみてキムタク様に狂いたいと思います。

愛って、ベタベタするだけが愛じゃないんですね。

Fall In Love アイドルの神様 この人でしょうか

その神様との出会いは、弟の何気ない一言だった。

前田敦子かわうぃーwww」

4つ離れた弟はその当時確か中学生で、私の弟だというのにリア充で粋がっててウェーイwwwだった。
というか、今でも十分ウェーイwwwだ。
LINEで実の姉に友達申請をしても、「誰このチャラ男しらねー」とブロックされてしまうレベル。姉って私のことだけど。
まあそんな弟が、おそらく当時学校の仲間内で話題になっていたのだろう「AKB48」に興味を持ち出した。そしてとりあえず真ん中で踊って目立ってる女の子をかわうぃーね!と言い出した。
どうでもいいけど、こういう「ノリ」で可愛がるって行動は一体どういう心理の働きが起きてるんだろう。教えてエロい人。
それはさておき、当時の弟は私と出かけた家電量販店で、「神曲たち」の特大パネルを指差していったのだ。前田敦子かわうぃーwwwと。

姉としては可愛い弟の興味のあるものといえば気になるわけで、可愛い弟のことになれば少々感情的にもなってしまうわけで。

「はあ?AKB48好きなの?気持ち悪。オタクじゃん。秋葉原のキモいオタクが好きなやつじゃんAKB48って。
つうか前田敦子?髪型ヘルメットじゃん。ブスじゃん。可愛くないじゃん。あんた趣味悪すぎね?」

ボロっかすにdisったことを今でも鮮明に覚えている。自分が十代の頭からオタクで腐女子で百合厨ということを棚に上げるどころかどこか遠いお山の向こうにぶん投げて、口汚く罵った。とんでもない理不尽さである。
哀れな弟はそれからしばらく姉の前ではAKB48の「え」の字も口に出さなくなった。

懺悔します。第一印象は最悪でした、かみさま。

そんな私があれよあれよという間にAKB48にハマる話はいずれ書くとして、今回は今の私にとっての「前田敦子」の話を書きたい。
そんな気分になったのはきっと先日総選挙をやっていたからで、そこでいろいろと思うところがあったからだろうけど、とにかく今は前田敦子の話をするの!

第一印象でヘルメットブスとあっちゃんをdisった私だけれど、今やあの子の声を聞けば涙が出るし、笑顔を見たら涙が出るし、なんかとにかく前田敦子と聞くと泣けてしまう。
あっちゃんが笑っていれば、それだけで世界は存在に値する、と真面目に思うこともある。
「君が笑うと嬉しくて 明日がなくても構わない」マジこれ。
それくらい尊い。それくらい可愛い。それくらい信奉してる。

ぼろぼろになりながら、絶対的エース、AKB48のセンターという茨の道を歩き続けた彼女は誰よりも輝いていたし、神聖だった。

AKBを好きだった頃はまだ学生で現実的にピンと来てなかったんだけど、今社会人になってみて思い返すと、あっちゃんのいた状況って異常だった。
私より年下の女の子が、何しようと絶対に容赦無く叩かれる場所で仕事をしなきゃいけない過酷さったらない。
仕事ですら一人の人に会いに行くのも苦痛で、ちょっとでも嫌な顔されれば逃げ出して二度といきたくないし実際行かなくなる私じゃあ絶対に耐えられない。自分でも引くほど根性なしだもん。
どういう気分なのだろう。どこに行っても自分をボロクソにdisる人たちがいるっていうのは。
その人たちと同じくらい、ほぼ無条件に自分を愛してくれる人がいるというのは。
期待と、プレッシャーと、圧力と、とにかく他人からいろいろなものを勝手に背中に乗せられてしまいながらも、進み続けるというのは。
私はできるだけ責任から逃れていたいし、いつまでも身軽に気軽にフラフラしていたい。
期待されるのもがっかりされるのも気分悪いから、できるだけ他人から放っておかれたい。というか、人付き合い嫌いだし他人が怖い。
そういう感じだから、あのときあっちゃんの置かれていた状況って本当にやばい。そりゃ彼女は自分でアイドルになることを選んだのだけど、その選択の結果が、あんまりにも重い。それをあの細い身体で必死に受け止めいた姿はあんまりにも尊い。

そこまでして得たかったものって、どういうものなんだろう。
他人からの期待を跳ね除けて、自分にも期待しないで、夢もあいにく持ち合わせていない私は、想像もつかない。
そこまで捧げて、何になるんだろう。
彼女は、あっちゃんは、何かを得ることはできたんだろうか。
私がそれを知る機会は未来永劫ないだろう。同じ答えを得ることも、まずない。だからわからない。わからないけど気になってしまう。

神様は今笑顔でいるだろうか。
この世界にまだ価値はあるだろうか。

瞬間最大風速60m/sのあの笑顔を思いながら、私は今日も誰かの神話に生きている。