より善きババアへの道

ひねくれオタク女が唯一の強みである「若さ」を失った後にもこの世に居場所を見出すため孤軍奮闘する日々。

拝啓、四十の私へ。

思えば25年間、「女子」っぽいこととは縁遠い人生だった。

幼稚園児の頃は自営業の祖父母に甘やかされ、周囲の大人が口を揃えて気の毒がるほどに肥え、
小学生の頃は「女子っぽいのが嫌」スピリッツをもつ食い意地の汚いオタク女になり、
中学生の頃は部活動を始めてそこそこ引き締まったにもかかわらずやっぱりオタク女で色恋おしゃれに無縁な日々を送り、
高校生の頃ようやく「女子」へのあこがれを抱いたものの、積み重ねてきた女子力の基礎がないためにオタク女の見当違いな背伸びにしかならず、
大学生の頃にはとうとう金に物を言わせて女子力を高めようとしたけれど、引きこもりだわやけ食い気味だわでなかな身にならなかった。身についたのは贅肉だけだった。この時の体重が自己ベスト。もちろん重い方に。

25年の大半をオタク女として過ごしてきた私だけど、こう思い返してみると、年頃からそれなりに「女子っぽさ」を意識していた。
ただ自信とか勇気とか、そういうものが圧倒的に足りていなくて、自分やら世間やらに「興味ないし金の無駄!」と誰も聞いちゃいない言い訳をしながら、自ら遠ざけていた。
コンプレックの凝り固まり具合といえば、釘を打てるほどだろう。

とはいえ、意識をしているくらいだから、憧れはある。
自分を卑下してもしきれないくらい、強い憧れが。

ほんとは、スカートを履きたかった。
ほんとは、ピンク色の服が着たかった。
ほんとは、メイクで綺麗になりたかった。
ほんとは、痩せて華奢になりたかった。
ほんとは、
ほんとは、

ほんとは、女の子らしくなりたかった。

そうしてきづいた。
私の青春、後悔だらけじゃん、と。

後悔しかないわけじゃない。
楽しいこともたくさんあった。
少ないけれど友達もいる。
安月給でも収入もある。

でも「女子っぽさ」「若さ」はもう私の人生から奪われつつあって、もうこの先二度と手に入れることのできないものだと思ったら、猛烈に惜しくなった。
昔の詩人があるとき詠った、「わたしが一番きれいだったとき」がもしも今だったら。
あとは失われていくだけだったら。

いまのままだと、歳をとった私が思い返せる「わたしが一番きれいだったとき」はあまりにも少ない。一日あれば余裕で周回できる。もしかしたら半日もかからないかもしれない。
大して反芻する思い出もない私はそんな追憶にも早々に飽きて、僻み根性でもってそのとき「一番きれいな」若者をネチネチネチネチdisるのだろう。
やれ化粧が下手だの、似合わない服を着ているだの、若いからってチヤホヤされるだの!
自分の化粧が下手だからって、自分が何を着たらいいかわからないからって、自分が優しくしてもらえないからって、他人にまでケチをつけるようになったら人間おしまいだ。
そういう惨めなババアは、若さ以外しか取り柄のないありし日の自分によく似た若者まで平然とdisるだろう。もはやホルモンバランスに踊らされ理性を失うばかりの獣。
いつしか若手からこう言われるのだ。
「見なさい、あれが哀れなヒステリックババアの末路よ」と。

だから私は立ち上がる。
いつの日か、ババアになる私のために、今のうちにできるだけ「若さ」を謳歌しようと。女子力を上げていこうと。
歳をとった私が、思い返して力にできる思い出を増やせるように、
歳をとった私が、惨めで虚しい思いを出来るだけしないように。
もちろん、今の私が明るく生きていくためにも。


願わくば、この道の先にあるババアの私に、幸多からんことを。その心が平穏のもとにあらんことを。