より善きババアへの道

ひねくれオタク女が唯一の強みである「若さ」を失った後にもこの世に居場所を見出すため孤軍奮闘する日々。

夏と花火と私の有給

気がつけば梅雨も明け、七月も終わりかけ。
小中高校生は終わりがあるのになぜか永遠と思い込んでしまう夏休みを謳歌し、
大学生は前期テストという地獄をなんとか眼前のニンジンである夏休みを糧に乗り越え、
社会人、それもサラリーマンたちは来月のお盆休暇に思いをはせているこの頃でしょう。
私の会社、お盆休みないんだけどね!!
ついでに言えば夏休みは有給で作るもので与えられるものではないのだよ!!!
大企業だと一週間ほど夏休みとして休暇を取れと命令が出るそうなんだけど、我が社はもう全然、そんなことなく。流通が止まる時期もなぜか営業してる。その時期はめっちゃ暇。今年で入社3年目だけれど、頭おかしいな、と毎年思っている。

話を聞いていると、大企業ってすごい。
人と違う就職活動をして、人と違う時期に就職が決まった人間なので、働く場所の選択肢に大企業はなかった私だけど、数少ない知り合いのうち何人かはいわゆる大企業に勤めている。
その人は飲みに誘うと、いつもなら「仕事が長引いて〜」と解散直前に現れるのに、夏の暑い時期だけは時間ぴったりに現れて「夏季休暇なの〜」とおっしゃる。
(そもそも11時近くまで残業しなきゃいけないほどの仕事があるって、大企業すげえ。)
前述したとおり、私の会社にはお盆休みも夏季休暇も定められていないのでちょっと羨ましくなる。
だからと言って、その人みたいに毎日遅くまで残業したりするのは嫌なんだけど。

私の中で、仕事の比重ってそんなに重くないんだろう。
出世欲はあまりない。
そこまで儲かっている会社でもないから何と無く上限も見えるし。
褒められれば嬉しいけど、頑張って頑張って認めて欲しいというのもない。
文句を言われない程度にそこそこ仕事して、期待されない程度にそこそこ仕事しない。
やる気ないならやめちまえ!という言葉が飛んできそうだけど、仕事してないと生活できないし何より奨学金が返せないので働くしかない。
仕事してて、楽しいとも思えないし。
とはいえまだ入社してそんなに期間が経っていないし、そんなもんだろうというのが一般的なご意見らしいので、まあこんなもんなのかな、とも思っている。

社会に出る前は、親筆頭に私に対して過剰に期待してるっぽい人が割といた。
社会のシステムを変えるようにとか、日本経済を激動させるようにとか。
特に親戚は小さい頃から私のことを、果ては博士か大臣か!ってな感じでみてたもんで、やんやいいたがったし、ぼんやりし続ける私にはずっとイライラしていたみたい。
当の私と言えば、本当にグラグラ不安定だった時期は血迷ってそういう周囲の声に乗っかってみたりした。今思えばあれは必要な迷走だったし、そのときつかったお金も高い人生勉強の授業料だと思えばそんなに惜しくない。
そんな風な迷走を経て最終的に、
贅沢三昧じゃなくても明日のご飯に怯えない程度の安定した暮らしができて、
ぼんやりと本を読んだりゲームをしたりする時間が取れて、
私の人生についてとやかく口を出してくる親から離れられる生活。
というのを望んだので、今の状況にすっぽり落ち着いた。
今だに、もったいないおかもっとやれるとか言ってくれる友達はいるけれど、とりあえずそういう自分やら他人からの期待は脇に置いといて、ホッとできる人生を楽しみたいのが今の気分。

そんなこといいつつ、人生に一度しかない社会人3年目という時期を、どう考えどう動くのがベターなのかもんもんと悩んでしまうこともある。
のんべんだらりと生きていきたい、そういう望みは今の社会では受け入れられないのかな、とか。

とはいえ考えても妙案も何もないので、ここはサクッと有給申請。
とりたいときに休みの取れる会社で本当によかった。それだけは心底思う。

よし、夏休み取るぞ!!!

あのネタを起こすのは あなた

子どもの頃から、本を読むのが好きだった。


絵本も漫画もアニメも好きだったけど、同じくらい活字の本が好きだった。
特にファンタジーとかオカルトものが好きで、非現実的な世界のことで頭がいっぱいになるのが楽しくてしかたなかった。大人や同世代から見ると可愛げのないマイペースな子どもだったけれど、頭の中では妖怪が歩き回ったりドラゴンが飛び回ったり魔法使いが修行をしていたりと大忙し。
学校で文芸書の読み聞かせがあれば、帰りに図書室で同じ本を借りてきて1日で読んだりしてた。当然、次の日からの読み聞かせの時間はつまらなかった。
楽しみをとっておけない性格だから、雑誌連載の漫画やら週一放送のアニメのように長期間見届けないと結末のわからないものより、基本的に一冊で話が完結して、しかも自分のペースでその結末に至れる本の方が性にあっていたんだろう。
25歳になった今も、なんとなく雑誌連載中の漫画を追うのは苦手だし、アニメも半クール見ていられない。でも、ゲームは好きでずっとやってる。次の日が休みなら明け方までやる。寝食を忘れる。そして唐突に飽きる。

そんな本好きの子どもが、あるとき自分でも物語を書いてみたいと思うのはわりにある話。
私自身完結しない物語を頭の中でこねくり回して、ちまちま原稿用紙に書いたりしてた。小説家になりたいなあなんて、考えていたこともある。
中学生になってからは、いわゆる二次創作SSなんかも書いたりして、どこに出しても恥ずかしいオタクになり腐女子になった。今はといえば、飽き性が災いしてオタクらしいオタクじゃない気がするけど、まだまだオタク。
絵をかいてたこともあったけど、結局は文章を書く方が多かった。本がそうだったように、きっとそっちの方が性にあっていたからだろう。

そうはいっても、嫌になるときだってくる。
二次創作のあり方について思い悩んだり、オリジナルの小説がかけなくて行き詰まったり、何よりも自分の書いたものを自分自身で面白いと思えなくて苦しんだり。
つい最近までも、何かまとまった文章を書くことが嫌になっていた。
今までにも書く気にならなくて、ぱったり何もしなくなる時期はあったけど、今回は本当にもう二度と書かなくなるんじゃないかと思ってた。きっともう私の中には書きたいことがなくて、このまま別に書かなくても生きていけるんじゃないかなあと思ったりもした。

書いてもどうにもならないんじゃないかなあ、とか考えたりすることもある。
そういう諦めみたいなのを感じるようになったきっかけは、情けないことにやっぱり母。

私が小説を書いていることを知ってから、母は酔うと時々「あたしの話を書いてもいいよ」と絡んだ。私が母にされたことを、母がどうしてそうしたかを、文章にして欲しいと言っていた。そしてそれを世の中に発信して欲しいと。そのためならどんなにひどい書かれ方をしても構わないからとも付け加えて。

なんだったんだろうね、あれ。
今思い出しただけで心臓がばくばく脈打つほどなんだけど。
確かハタチまでの2、3年間ぐらいはしょっちゅう言われた。その内で、言い返せたのは一回だけ。ハタチの時、親戚の前で、小説を書いていることをバラされたとき。
えー!どんなお話書いてるの!?と義理で聞いてくる親戚を、大した話じゃないからとかわしていたら、「だから、あたしの話書いていいっていっているのに」と言われたとき。
「私には私が書きたい話があるおでお構いなく」と返すと、母は面白くなさそうな顔で「あんたの話なんて誰もわかんないよ」と言い放った。

その辺から多分、書くことがあんまり楽しくなくなった。

書いてもわかってもらえない。何か書き出そうとすると母の言葉で頭がいっぱいになる。
それでもがんばって書き出してみる。どうにかこうにか書いても、読み返すとどこか母について書いた話のように感じる。というか、多分そうなんだと思う。
それがすごく嫌だった。
母にされて嫌だったこととか、母がそうした理由とか、そういうことばっかりが私の中に蓄積されていて、私がかけることがそんなことばっかりしかないのかと絶望した。私は母じゃあないのに、まるで母の物語の語り手じゃん。なにそれ。面白くない。
だから躍起になって「違うもの」を書こうとするけど、「違うもの」がなんなのかわからなくって書けない。書いたとしても誰にも理解されないんじゃないかと怖がる。落ち込む。絶望する。じゃあもう書かなくていいんじゃない!?と開き直る。そんなこんなで現在に至る。

でもさ、今こうやってブログやってるし。

何かきっかけがあって書きはじめてしまえば、当たり前みたいに普通にかけた。私の中にはまだまだ整理したいこととか吐き出してしまいたいことがたくさんあることに気がついて、げんなりしたようなほっとしたような気分になる。
それに、書いてみたらいいよと言ってくれる人がいて、面白かったと言ってくれる人がいる。そういう人たちに甘えて、調子に乗って書き続ける。
相変わらずこうして母のことばっかり書いているけど、よくよく考えたらこれは「母のために書いてる母の話」じゃなくて、「私のために書いてる母の話」だからいいような気がする。というか、うーん、きっとそう。王様の耳はロバの耳と、きっと一緒。せいぞーんせんりゃくーってやつだよきっと。

だってこのエントリだってここまで書くのに三日くらいかかった。どうしても書ききれなくて今日までかかったけど、昨日一昨日には出てこなかった言葉が出てきたし、ハッとするような気づきだってあった。
そう、誰が理解しなくても、私はきっと理解する。
他に書けることがないんじゃなくて、書きたいからそれを書き続ける。

こんな感じでいいんじゃないかね、今のところはさ。

「少しもサムくないわ(震え声)」

アナと雪の女王を見に行ってきました。(一部ネタバレを含みます)

世間的にはすさまじく人気だし、私自身ディズニーは好きだし、人からは勧められるしで見ない理由はなかったのだけれど、見るきっかけがなくてスルーしていた。
多分、いつもだったらそのまま見ないままで、適当にオチだけググってわけ知り顔でハーンとかフーンとか言って終わりだっただろう。
ところが先日遊びに誘ってた友達と、当日の待ち合わせがどうとかの連絡を取っている時に
、なんとなくでアナ雪の話になり、なんとなくまだ見ていない旨を話したところ、

「見てないとかあり得ない。今後の付き合い方を考えさせて欲しいレベル」

と言われてしまった。
これはいよいよ見ない理由はなくなったし、いよいよ見る理由ができた。こんな形で数少ない友達を失うわけにはいかんと思い立って、早速買い物の予定を変更してその友達と見に行くことにしたのである。
高校時代からの友達との付き合いを考え直させるって、アナ雪ほんとやばい。でも本当にやばいのは友達。やはり私の友達なだけあるやばさ。ちなみに彼女はすでに3回見ていたらしい。そんな人テレビの中にしかいないと思ってた。パない。

そんなこんなでやっとこ見に行ったわけだけど、うん、とても面白かった。
前述したように私はディズニーが好きだし、子どもの頃からディズニー映画を見まくってきた。急に歌い出されても全く動揺しない、よく調教されたディズニー好きだ。今でも辛くなればハクナマタタと歌ってみる。
見たのは日本語吹き替え版だったけど、前評判通り主役二人はとても歌が上手だったし、セリフ部分も違和感がなかった。

とかなんとか言ってみたけど、ぶっちゃけ映画に詳しいわけじゃないから大したことなんてかけない。なので書きたいこと書く。いつも書きたいことしか書いてないけど。

映画を見ながら、自分が一人暮らしをはじめた頃を思い出した。

四人兄弟の一番上で長女の私。母が若い時に産んだ子どもであることや、父が仕事人間であまり家庭を構わないことなんかが理由だったのかどうなんか今だによくわからないけど、実家にいた頃は精神的なところで頼られることが多かった。
きょうだいとは歳がはなれているし、母は中学生で精神の成長が止まったような性格だし、私自身しっかりしていないといけないと強く思っていた。しっかりというのは、正しくとか、強くとか、そういうの。
そんな感じで18年間、それなりに楽しく、でもその何倍もさみしさとか生き辛さを感じて生きてきた。
そして大学進学、両親の決定的な不仲をきっかけに、私は一人、大都会東京に移り住む。

その日から築年数が母の歳と同じ木造アパートの、ボロッボロの1kが私の城になった。

引越しだとか暮らしの準備とか、最後まで母に頼り切りだったことは今でも後悔している。出て行くと決めたくせに、その瞬間に共依存の関係を清算しようとしなかった自分を責めたこともある。でも同じくらい強く思う。出て行くと決めて、それを本当に実行するだけで、精一杯だったのだ、あの頃は。

そこから6年、私はそのオンボロアパートで生きてるんだか死んでるんだかわからない毎日をもがきながら生きるのだけれど、その話はまた今度。少なくとも今言えるのは、もう二度と東京都23区内には住みたくないということだけだ。

そんなことを、鑑賞中に思い出していた。
自分の力をコントロールするために、誰にもしられないために、「しっかりしなきゃ、隠さなきゃ」と一人閉じこもってもがいていたエルサが、妹との喧嘩をきっかけに今まで抱えてきた鬱憤を爆発させて家出する。
「もうええねん、お姉ちゃんのことはほっといてや!!好きにさせたって!!!」
きっと妹のアナも、エルサのそれとは違う種類とはいえ、同じくらいの鬱憤を抱えていたはず。でもあの瞬間、そんなことより自分が楽になりたいという願いが勝った。
とりあえず飛び出して、自分のことなんて誰も知らない、一人で居られる場所を求めて、それまで我慢していたものを解放して。義務感や見捨てられる恐怖に怯えて暮らすより、孤独でも気楽に生きられる日々をエルサは選んだ。
多分、私が一人暮らしをはじめた時と同じように。
そう思うと、雪山でエルサが一人歌いながら氷の城を作っていくあのシーン、泣けて泣けて仕方がなかった。レリゴー、レリゴー。自分と同じ「長子、長女」の業を背負った同胞の魂の叫びに涙が止まらなかった。
個人的にはあのシーンがクライマックス。

それからまぁ、いろいろあって、結局エルサはアナと和解してお城に帰って、再スタートを切る。
私といえば、昨年末に母に絶縁を宣言し、今はオンボロアパートを離れまた違う場所で暮らしている。
たまに揺り返しがあったりもするけれど、私は元気です。
おそらくこの先、私がエルサのように「実家」に帰ることはないだろう。帰ってしまえばその瞬間、今の幸せが崩れそうな気がするから。そして恐らく、それと同時に、私自身も崩壊する。そんな予感がある。
なので正直、城に戻れるエルサが羨ましかった。自分の意識だけじゃなくて、環境も変わってくれるって、すごく羨ましい。
でもそんなのは昔々、あるところにいたプリンセスにしか降りかからないラッキーなので、今を生きるド庶民の私はそんなラッキーに期待せず、今抱えている幸せを大事にするしかない。私は私なりの方法で、私なりのハッピーエンドを目指してく。
もしできるなら、あのオンボロアパートの一室で、布団に包まって呻いてばかりだった私に会えるなら、鬱陶しがられても歌ってあげたい。
レリゴー、レリゴー。
ええんやで、そのまんまで。そのまんまでも、幸せになる方法なんて、なんぼでもあんねんで。

ところで、エルサの氷の城にアナがやって来た時のやりとりを見て死にたくなったのは私だけ?
「あー、姉さん、雰囲気変わったね、うん、そういうのが好きなんだ、うん、うん」
鬱憤を晴らす過程ではっちゃけて、それまでと全く違う雰囲気の服装したり小物を持ち始めた私に、きょうだいたちが向けた戸惑いの視線が思い出されて死にたくなったんだけども。
なんだろうね、今なら寒すぎる行動をしまくってたこともわかるんだけど、真っ最中の時は必死で何も見えなくてね。
エルサ姉さんが氷の城のことを思い出して、まくらに顔うずめてジタバタする日が来ないように願います。ああ、輝かしき、黒歴史

菓子断てぬ。

タイトルの時点でもう今回のオチは見えているでしょうけど、そこはぐっと堪えて読み進めていただきたい。

さて、夏が来ました。
インドア派には厳しい季節です。インドア派でコミュ障のくせに毎日外に出ないといけない仕事をしている私にとっては魔の季節。この季節になるたびに、こんな仕事辞めてやると叫び出したくなる。

夏、恐ろしい。
なぜなら焼けるから。日焼け止めをうっかり塗り忘れた日には、仕事したくなくなる。仕事したい日なんてないけど。

夏、恐ろしい。
なぜなら暑いから。前述の通りインドア派のヒッキー野郎なので最高気温が25度を超えると活動限界が早まる。パターン青、熱帯夜ですなんて言われた日には、後先考えず冷房付けっ放しで寝たくなる。そして翌朝後悔する。確実に。

夏、恐ろしい。

なぜなら何より、薄着の季節だから。

以前他の記事でも書いたように、今まで生きて来た25年間のうち、私は痩せていたことなんてただの1日もない。
基本的にデブ。原則としてデブ。狂おしいほどデブ。
ぶっちゃけたところ、体重自体は適正体重なのだけれど、如何せん体脂肪率が高い。
生まれてこの方デブ一筋だったので、やっぱり運動が苦手で、体を鍛えたことなんてほとんどない。
中学の時は運動部に所属していたけれど、入部当初は身体作りをあまりしない活動内容だったし、顧問が変わってガチ練習をし出した頃には尻尾を巻いて逃げ出した。
そんなわけで、そもそもの筋肉量がないらしい。
適正体重にもかかわらず、筋肉量が少なくて体脂肪率が高いと、隠れ肥満というものになるそうだ。

ここまで書いておいてなんだけど、ブログのネタがないからって年頃の女が自分のデブ事情をネタにするのってどうよ、と思わなくもない。どんだけものぐさだよ。

話を戻して。
私にような隠れ肥満型の特徴に、体重の割りに体が大きく見えるというのがある。
脂肪を支えるだけの筋肉がなく、脂肪が余っちゃっているので、肌にハリがなくダルダルに見えてしまうというもの。正直めっちゃ損してる。二の腕が振袖状態というのもこういうのが原因らしい。
更に脂肪を燃焼させるための筋肉が足りていないので、脂肪が落ちにくい。どんどん脂肪が着いてダルダルのだらしない体になってしまう。
上記のことをしったのは、昨年末にスポーツジムに入会してカウンセリングを受けた時だった。
「体重はこのままでいいので、脂肪を五キロ減らして筋肉を五キロ増やしてください!」
とトレーナーのお姉さんに明るく爽やかに言われた時は、そのままぶっ倒れそうだった。角の自販機にオロナミンc買いに行くのとは訳が違うっつうの。
それから半年ちょっと、ジムに通っているのだけれど依然として体重に変化はない。むしろ増えた。
それもそのはず、そもそも運動自体を避けて生きて来たから満足に動けていないのだ。
筋トレをするにも、筋肉がないからマシンを満足に動かせない。
有酸素運動をするにも、体力がないから30分も歩けばクタクタになる。
そして何より、根性がない。辛いの無理。筋肉痛いなるのいや。
こんな状態で運動してても、効果があるわけない。しかも、これに気がついたはジム入会から3ヶ月ほど経った頃。やっぱり、運動って学生時代にしておくものね。
そんなわけで、体づくりの前に気持ち作りをすることにした。
まずは、ジムに週二回いく習慣をつける。
まずは行くことから。継続が苦手な私にとってはだいぶ難しいことだったけれど、最近はすんなり体が向かうようになって来た。会費もったいないし。なんとなくでも動いた方が、ご飯美味しいし。(太った原因は多分これ)
次に、有酸素運動への抵抗感をなくす。
筋トレは頑張ると次の日筋肉痛になるから、どうしても頭の中でセーブをかけてしまう。有酸素運動なら汗をかいたり、足がその直後にだるくなるだけなので翌日へのダメージがないから気負う必要がない。更に筋トレと違って消費カロリーもわかる。飽き性で短気な私にとってはそういう些細な変化がすごく大事。
今のところ実践しているのはこの二つだけど、工夫の甲斐あってかサボらなくなったし、30分も続かなかった有酸素運動も1時間弱は続けられるようになった。
前述した通り痩せにくい体質なので、変化が現れるのはだいぶ先だろうけど気長に続けようと思う。

電車に乗ってつり革に掴まった時、自分の二の腕がプルプルと電車に合わせて揺れているのに気づくとげんなりする。生きていたくなくなる。このまま引きこもって外界に出ずに朽ちて行きたくなる。
でも私は今日も生きていて、この先も生きて行くには仕事をしなくてはならなくて、仕事をするには外にでなければならない。
なら少しでもやせて、外の世界が怖くならないようにしないと。
というか、食生活にも気を使えって話なんですけどね。今の所、その事実からは目をそらしてる。


ではお待たせしまた。みなさんご一緒に、ファッション誌の着痩せ特集なんてものに惑わされずに誓いましょう。



ば。

あれは無気力人間だ。君はそっとつぶやいた。

早々にブログのネタがなくなってしまった。
近況報告でもと思ったけれど、iPad Airを手に入れたことくらいしか日常に変化はない。
Twitterでつぶやくネタすら特に浮かばない程度の無気力さで日々すごしている。
一応社会人だし、それなりに外にでたりしているわけだけど、特に何かをどう感じることも少なく。
仕事も生活も、いつまでもこの時が続けばいいのにという2ヶ月前の祈りがそのまま、呪いにでもなってしまったのか、なんだか停滞を感じている。
インプット、アウトプットを定期的にしていれば、こんなにも煮詰まることなんてないんだろう。そもそも、今回だって煮詰まっていることに気がついたのは体を動かすのが異様に鬱陶しくなってからだった。
こんな無気力期間が、ハタチを過ぎたあたりから2、3ヶ月に一度くらいの結構な頻度でやってくる。
今回の無気力期間のきっかけは、先週奇妙な夢を見たことのはず。
嫌なことは先延ばし、遠ざけて、しまいこんでなかったことにしようとするくせに、どうしても忘れきれなくて気にし続けてしまう。そういう自分の性格を嫌ってほどに再認識する夢だった。
そういう性格が災いして、妙な無気力期間に陥りがちで、しかも立ち直りにくいのだろうと、最近は分析している。

要するに、気分転換が苦手なのだ。

考えずにいられない性格で溜め込みがち。
コミュニケーション下手で友人は少なく、おまけに出不精。
人から後ろ指をさされるのがいやで誠実ぶるくせに、気に入らないことは無視しようとする。
どっからどう見てもクズです本当にありがとうございました。
兎にも角にも天邪鬼でひねくれた性格なので、気分転換が昔っから苦手だったりする。
普通なら、趣味で気を紛らわせたりするのだろうけど、それもできない。

実は、趣味らしい趣味がないからだ。

趣味があれば、余暇の時間を費やして仕事の疲れをリフレッシュしてみたり、いいやなことを忘れてみたり、親しい趣味友達を作ったりすることができるんだろうけど、私の場合趣味がない。
好きなことはある。本を読むのも、音楽を聴くのも、ゲームをするのも、映画を見るのも、ネサフをするのも好きだけど、なんとういうか、趣味ではないようにおもえる。
決め手にかけると言うか、積極的には取り組まないと言うか。
この辺は飽き性なのが災いしてるのだろうけど、ある時とりつかれたように何かをし出すくせに、ふと我に返った瞬間熱がゼロにまで下がりがち。これは何事に対しても。
去年の暮れからはまり込んだジェルネイルも、今じゃすっかりどうでも良くなっている。やりたいなーとは思うけど、めんどくさい。行動に移すのが吐くほどめんどくさい。
このブログだって、気がつけば一ヶ月弱書いていなかった。
穏やかに、継続的に取り組むのがすこぶる苦手。
だから何か好きなことをしても安心感がないし、そんな自分にモヤモヤする。
学生の時はまだ、SSを書いていたり、本を読み漁ってみたりと情熱を保てることもあったんだろうけど、今じゃどうにもならない。
こんなんで、将来どうなるんだろうと不安になる。
自分の気分をコントロールないし手懐けられないって、いよいよすることがなくなった時に致命的になる気がする。
私が最も恐れている、自分の不満や退屈を他人に押し付ける人間になってしまう気がする。
めっちゃ怖い。泣きそう。
そんなぼんやりとした不安を抱えている。ちなみに、服毒するには至らない。

それでもやっぱりこれぞ趣味と思えることもなく、毎日のんべんだらりと過ごしている。
無気力人間。中二病丸出し。
なんかないかなあと頭の中を探しているから煮詰まるんだよねきっと。
わかっちゃいるけど外に出るのはめんどくさい。
気が乗らなくても、まずは何かに手を出してみるのがいいんじゃないのかと言われたので、こうしてブログを書いてみた。
あまりのクズさにびっくりしたけれど、こうして頭の中身をアウトプットすると幾分か気が楽になる。
また書いてみようかな、という気にもなってくる。
こういう積み重ねが、何かを頑張るためのリハビリになるんだろうか。あてもないけど祈ってみる。

とはいえ締め方がわからなくなって来たのでこの辺で強引に締める。
閉店ガラガラ。

サンライトパワーメークアーップ

悲しきかな社会人なので、平日の朝は毎日メイクする。
いくら寝ても目は開かないし、季節の変わり目はニキビが出るし、そんな諸々と毎朝戦っている。
ところで先日、二十歳を過ぎた人間の顔にできるのは「ニキビ」じゃなくて「吹出物」だよ、と言われてたいそうショックを受けた。
私が毎月格闘するのはニキビじゃなくて吹き出物。一気に老けた感じがする。辛い。大人になるって、こうして色んなものとお別れすることなんだろうな、なんて感傷的になる。

でもまあ、大人になるからメイクの楽しみも知れるわけで。
私のメイクデビューは二十歳。一般的には高校生でとか、大学入学時にデビューするらしいので割と遅め。
前の記事にも書いたように、「女っぽいもの」に対して思うことがあったのでなかなかデビューできずにいた。
今となってはきっかけなんて思い出せないんだけど、ある日思い立ってアットコスメを読み漁ったのは覚えてる。たぶん「ちょっとやってみようかな…」くらいの気持ちから始めたんだと思う。
ちふれセザンヌ、CANMAKE、ケイト。プチプラコスメは初心者の味方。
ベージュとか茶色いアイメイクをして、初めて実家に顔を出した時には、すごくドキドキしてた。
うちの母は「女子力」と言うものに一家言ある系の人種で、スイーツ(笑)的なところがある。
そんな母にメイクの甘さを罵倒されるかと思いきや、いつになく真剣な顔でメイクの仕方について語られた。図まで描いてた。ちょっとした講義が始まった。すぐにお腹いっぱいになった。
母としては、基本的に本と漫画に興味が偏ってる女っ気のない娘に対して諦めもあったようで、その娘が化粧に興味があると知ったらにわかにテンションが上がってしまったみたいだった。
「最初にいってくれればさー!一緒に買いに行けたのにさー!」
そうすねた母のことは、今でもよく覚えている。
この人にはこの人なりに夢見た「母娘」があったんだな、と申し訳なく思ったことも。
この時点で私と母の関係はこじれまくってるんだけど、これはまた別の話。

私の化粧デビューの思い出は、こんな感じ。

その後学生時代は気になったプチプラコスメを片っ端から試して合う合わないの傾向を分析してた。特にアイシャドウパレットが好きで、気になるのはすぐに買ってた。まぶた2つしかないのに。
大学卒業ちょっと前から社会人一、二年目は金遣いの粗さもいくらか落ち着いて、アットコスメにかわり化粧板を見ることを覚えた。エスプリークとかコフレドールとか、プチプラじゃないコスメを買い出す。コフレドールのくるくるチーク、すごい可愛くて2つも買った。ほほ2つしかないのに。

そして今、月に一度のお楽しみ、化粧カウンターでのお買い物のために毎日働いてる。

化粧カウンターってとても怖い。
ものすごく明るい証明の下に、近所のドラッグストアと比べて一桁以上違う値札のついた商品が並んでて、きらきらしたカウンターの向こうにはガッツリメイクで武装したお姉さんがギラギラした目でお客を見てる。
私みたいにコンプレックスの塊みたいな人間にとっては、品定めをされているようですごく居心地が悪い。
それこそ最初は怖くて怖くて、早足で駆け抜けるのもやっとだった。
カウンターデビューの日なんて、「今日はカウンターでこれを買う!!!」と決めて、意気込んで、決死の覚悟で臨んだりした。
まだ三回、3つしか買い物をしたことがないけれど、プロの意見を聞けるのはとても貴重だとしみじみ感じる。
特に私のメイクは独学なので、化粧直しの仕方とかスキンケアなんていうのは勉強になる。
なにより、自分の知らなかったチャームポイントを教えてもらえるのが嬉しい。
自分では平々凡々以下だと信じて疑わないこの顔に対して、肌が綺麗、色が白い、まつ毛が長いなどなどコメントを貰えるとはっとする。
そりゃあ社交辞令だと思うけど、自分の顔の中で一つお世辞を言うとすればここなんだな、というポイントがわかることにはかわらないし。
一つでも多く自分を好きになれる要素が発見できれば、少しは「いい女」に近づけるだろうと信じてる。
未だに怖い化粧カウンターも、「大人のいい女」になれば怖くなくなるんだろうな。

そんな風にメイクについて考えながら、今日もコスメを買うためにメイクをして仕事に行く。
昨日より少しでもいい女に。見かけだけでもいい女に。
メイク道は奥深いのだ。

拝啓、四十の私へ。

思えば25年間、「女子」っぽいこととは縁遠い人生だった。

幼稚園児の頃は自営業の祖父母に甘やかされ、周囲の大人が口を揃えて気の毒がるほどに肥え、
小学生の頃は「女子っぽいのが嫌」スピリッツをもつ食い意地の汚いオタク女になり、
中学生の頃は部活動を始めてそこそこ引き締まったにもかかわらずやっぱりオタク女で色恋おしゃれに無縁な日々を送り、
高校生の頃ようやく「女子」へのあこがれを抱いたものの、積み重ねてきた女子力の基礎がないためにオタク女の見当違いな背伸びにしかならず、
大学生の頃にはとうとう金に物を言わせて女子力を高めようとしたけれど、引きこもりだわやけ食い気味だわでなかな身にならなかった。身についたのは贅肉だけだった。この時の体重が自己ベスト。もちろん重い方に。

25年の大半をオタク女として過ごしてきた私だけど、こう思い返してみると、年頃からそれなりに「女子っぽさ」を意識していた。
ただ自信とか勇気とか、そういうものが圧倒的に足りていなくて、自分やら世間やらに「興味ないし金の無駄!」と誰も聞いちゃいない言い訳をしながら、自ら遠ざけていた。
コンプレックの凝り固まり具合といえば、釘を打てるほどだろう。

とはいえ、意識をしているくらいだから、憧れはある。
自分を卑下してもしきれないくらい、強い憧れが。

ほんとは、スカートを履きたかった。
ほんとは、ピンク色の服が着たかった。
ほんとは、メイクで綺麗になりたかった。
ほんとは、痩せて華奢になりたかった。
ほんとは、
ほんとは、

ほんとは、女の子らしくなりたかった。

そうしてきづいた。
私の青春、後悔だらけじゃん、と。

後悔しかないわけじゃない。
楽しいこともたくさんあった。
少ないけれど友達もいる。
安月給でも収入もある。

でも「女子っぽさ」「若さ」はもう私の人生から奪われつつあって、もうこの先二度と手に入れることのできないものだと思ったら、猛烈に惜しくなった。
昔の詩人があるとき詠った、「わたしが一番きれいだったとき」がもしも今だったら。
あとは失われていくだけだったら。

いまのままだと、歳をとった私が思い返せる「わたしが一番きれいだったとき」はあまりにも少ない。一日あれば余裕で周回できる。もしかしたら半日もかからないかもしれない。
大して反芻する思い出もない私はそんな追憶にも早々に飽きて、僻み根性でもってそのとき「一番きれいな」若者をネチネチネチネチdisるのだろう。
やれ化粧が下手だの、似合わない服を着ているだの、若いからってチヤホヤされるだの!
自分の化粧が下手だからって、自分が何を着たらいいかわからないからって、自分が優しくしてもらえないからって、他人にまでケチをつけるようになったら人間おしまいだ。
そういう惨めなババアは、若さ以外しか取り柄のないありし日の自分によく似た若者まで平然とdisるだろう。もはやホルモンバランスに踊らされ理性を失うばかりの獣。
いつしか若手からこう言われるのだ。
「見なさい、あれが哀れなヒステリックババアの末路よ」と。

だから私は立ち上がる。
いつの日か、ババアになる私のために、今のうちにできるだけ「若さ」を謳歌しようと。女子力を上げていこうと。
歳をとった私が、思い返して力にできる思い出を増やせるように、
歳をとった私が、惨めで虚しい思いを出来るだけしないように。
もちろん、今の私が明るく生きていくためにも。


願わくば、この道の先にあるババアの私に、幸多からんことを。その心が平穏のもとにあらんことを。