夏と花火と私の有給
あのネタを起こすのは あなた
子どもの頃から、本を読むのが好きだった。
絵本も漫画もアニメも好きだったけど、同じくらい活字の本が好きだった。
特にファンタジーとかオカルトものが好きで、非現実的な世界のことで頭がいっぱいになるのが楽しくてしかたなかった。大人や同世代から見ると可愛げのないマイペースな子どもだったけれど、頭の中では妖怪が歩き回ったりドラゴンが飛び回ったり魔法使いが修行をしていたりと大忙し。
学校で文芸書の読み聞かせがあれば、帰りに図書室で同じ本を借りてきて1日で読んだりしてた。当然、次の日からの読み聞かせの時間はつまらなかった。
楽しみをとっておけない性格だから、雑誌連載の漫画やら週一放送のアニメのように長期間見届けないと結末のわからないものより、基本的に一冊で話が完結して、しかも自分のペースでその結末に至れる本の方が性にあっていたんだろう。
25歳になった今も、なんとなく雑誌連載中の漫画を追うのは苦手だし、アニメも半クール見ていられない。でも、ゲームは好きでずっとやってる。次の日が休みなら明け方までやる。寝食を忘れる。そして唐突に飽きる。
そんな本好きの子どもが、あるとき自分でも物語を書いてみたいと思うのはわりにある話。
私自身完結しない物語を頭の中でこねくり回して、ちまちま原稿用紙に書いたりしてた。小説家になりたいなあなんて、考えていたこともある。
中学生になってからは、いわゆる二次創作SSなんかも書いたりして、どこに出しても恥ずかしいオタクになり腐女子になった。今はといえば、飽き性が災いしてオタクらしいオタクじゃない気がするけど、まだまだオタク。
絵をかいてたこともあったけど、結局は文章を書く方が多かった。本がそうだったように、きっとそっちの方が性にあっていたからだろう。
そうはいっても、嫌になるときだってくる。
二次創作のあり方について思い悩んだり、オリジナルの小説がかけなくて行き詰まったり、何よりも自分の書いたものを自分自身で面白いと思えなくて苦しんだり。
つい最近までも、何かまとまった文章を書くことが嫌になっていた。
今までにも書く気にならなくて、ぱったり何もしなくなる時期はあったけど、今回は本当にもう二度と書かなくなるんじゃないかと思ってた。きっともう私の中には書きたいことがなくて、このまま別に書かなくても生きていけるんじゃないかなあと思ったりもした。
書いてもどうにもならないんじゃないかなあ、とか考えたりすることもある。
そういう諦めみたいなのを感じるようになったきっかけは、情けないことにやっぱり母。
私が小説を書いていることを知ってから、母は酔うと時々「あたしの話を書いてもいいよ」と絡んだ。私が母にされたことを、母がどうしてそうしたかを、文章にして欲しいと言っていた。そしてそれを世の中に発信して欲しいと。そのためならどんなにひどい書かれ方をしても構わないからとも付け加えて。
なんだったんだろうね、あれ。
今思い出しただけで心臓がばくばく脈打つほどなんだけど。
確かハタチまでの2、3年間ぐらいはしょっちゅう言われた。その内で、言い返せたのは一回だけ。ハタチの時、親戚の前で、小説を書いていることをバラされたとき。
えー!どんなお話書いてるの!?と義理で聞いてくる親戚を、大した話じゃないからとかわしていたら、「だから、あたしの話書いていいっていっているのに」と言われたとき。
「私には私が書きたい話があるおでお構いなく」と返すと、母は面白くなさそうな顔で「あんたの話なんて誰もわかんないよ」と言い放った。
その辺から多分、書くことがあんまり楽しくなくなった。
書いてもわかってもらえない。何か書き出そうとすると母の言葉で頭がいっぱいになる。
それでもがんばって書き出してみる。どうにかこうにか書いても、読み返すとどこか母について書いた話のように感じる。というか、多分そうなんだと思う。
それがすごく嫌だった。
母にされて嫌だったこととか、母がそうした理由とか、そういうことばっかりが私の中に蓄積されていて、私がかけることがそんなことばっかりしかないのかと絶望した。私は母じゃあないのに、まるで母の物語の語り手じゃん。なにそれ。面白くない。
だから躍起になって「違うもの」を書こうとするけど、「違うもの」がなんなのかわからなくって書けない。書いたとしても誰にも理解されないんじゃないかと怖がる。落ち込む。絶望する。じゃあもう書かなくていいんじゃない!?と開き直る。そんなこんなで現在に至る。
でもさ、今こうやってブログやってるし。
何かきっかけがあって書きはじめてしまえば、当たり前みたいに普通にかけた。私の中にはまだまだ整理したいこととか吐き出してしまいたいことがたくさんあることに気がついて、げんなりしたようなほっとしたような気分になる。
それに、書いてみたらいいよと言ってくれる人がいて、面白かったと言ってくれる人がいる。そういう人たちに甘えて、調子に乗って書き続ける。
相変わらずこうして母のことばっかり書いているけど、よくよく考えたらこれは「母のために書いてる母の話」じゃなくて、「私のために書いてる母の話」だからいいような気がする。というか、うーん、きっとそう。王様の耳はロバの耳と、きっと一緒。せいぞーんせんりゃくーってやつだよきっと。
だってこのエントリだってここまで書くのに三日くらいかかった。どうしても書ききれなくて今日までかかったけど、昨日一昨日には出てこなかった言葉が出てきたし、ハッとするような気づきだってあった。
そう、誰が理解しなくても、私はきっと理解する。
他に書けることがないんじゃなくて、書きたいからそれを書き続ける。
こんな感じでいいんじゃないかね、今のところはさ。
「少しもサムくないわ(震え声)」
菓子断てぬ。
あれは無気力人間だ。君はそっとつぶやいた。
サンライトパワーメークアーップ
悲しきかな社会人なので、平日の朝は毎日メイクする。
いくら寝ても目は開かないし、季節の変わり目はニキビが出るし、そんな諸々と毎朝戦っている。
ところで先日、二十歳を過ぎた人間の顔にできるのは「ニキビ」じゃなくて「吹出物」だよ、と言われてたいそうショックを受けた。
私が毎月格闘するのはニキビじゃなくて吹き出物。一気に老けた感じがする。辛い。大人になるって、こうして色んなものとお別れすることなんだろうな、なんて感傷的になる。
でもまあ、大人になるからメイクの楽しみも知れるわけで。
私のメイクデビューは二十歳。一般的には高校生でとか、大学入学時にデビューするらしいので割と遅め。
前の記事にも書いたように、「女っぽいもの」に対して思うことがあったのでなかなかデビューできずにいた。
今となってはきっかけなんて思い出せないんだけど、ある日思い立ってアットコスメを読み漁ったのは覚えてる。たぶん「ちょっとやってみようかな…」くらいの気持ちから始めたんだと思う。
ちふれ、セザンヌ、CANMAKE、ケイト。プチプラコスメは初心者の味方。
ベージュとか茶色いアイメイクをして、初めて実家に顔を出した時には、すごくドキドキしてた。
うちの母は「女子力」と言うものに一家言ある系の人種で、スイーツ(笑)的なところがある。
そんな母にメイクの甘さを罵倒されるかと思いきや、いつになく真剣な顔でメイクの仕方について語られた。図まで描いてた。ちょっとした講義が始まった。すぐにお腹いっぱいになった。
母としては、基本的に本と漫画に興味が偏ってる女っ気のない娘に対して諦めもあったようで、その娘が化粧に興味があると知ったらにわかにテンションが上がってしまったみたいだった。
「最初にいってくれればさー!一緒に買いに行けたのにさー!」
そうすねた母のことは、今でもよく覚えている。
この人にはこの人なりに夢見た「母娘」があったんだな、と申し訳なく思ったことも。
この時点で私と母の関係はこじれまくってるんだけど、これはまた別の話。
私の化粧デビューの思い出は、こんな感じ。
その後学生時代は気になったプチプラコスメを片っ端から試して合う合わないの傾向を分析してた。特にアイシャドウパレットが好きで、気になるのはすぐに買ってた。まぶた2つしかないのに。
大学卒業ちょっと前から社会人一、二年目は金遣いの粗さもいくらか落ち着いて、アットコスメにかわり化粧板を見ることを覚えた。エスプリークとかコフレドールとか、プチプラじゃないコスメを買い出す。コフレドールのくるくるチーク、すごい可愛くて2つも買った。ほほ2つしかないのに。
そして今、月に一度のお楽しみ、化粧カウンターでのお買い物のために毎日働いてる。
化粧カウンターってとても怖い。
ものすごく明るい証明の下に、近所のドラッグストアと比べて一桁以上違う値札のついた商品が並んでて、きらきらしたカウンターの向こうにはガッツリメイクで武装したお姉さんがギラギラした目でお客を見てる。
私みたいにコンプレックスの塊みたいな人間にとっては、品定めをされているようですごく居心地が悪い。
それこそ最初は怖くて怖くて、早足で駆け抜けるのもやっとだった。
カウンターデビューの日なんて、「今日はカウンターでこれを買う!!!」と決めて、意気込んで、決死の覚悟で臨んだりした。
まだ三回、3つしか買い物をしたことがないけれど、プロの意見を聞けるのはとても貴重だとしみじみ感じる。
特に私のメイクは独学なので、化粧直しの仕方とかスキンケアなんていうのは勉強になる。
なにより、自分の知らなかったチャームポイントを教えてもらえるのが嬉しい。
自分では平々凡々以下だと信じて疑わないこの顔に対して、肌が綺麗、色が白い、まつ毛が長いなどなどコメントを貰えるとはっとする。
そりゃあ社交辞令だと思うけど、自分の顔の中で一つお世辞を言うとすればここなんだな、というポイントがわかることにはかわらないし。
一つでも多く自分を好きになれる要素が発見できれば、少しは「いい女」に近づけるだろうと信じてる。
未だに怖い化粧カウンターも、「大人のいい女」になれば怖くなくなるんだろうな。
そんな風にメイクについて考えながら、今日もコスメを買うためにメイクをして仕事に行く。
昨日より少しでもいい女に。見かけだけでもいい女に。
メイク道は奥深いのだ。
拝啓、四十の私へ。
思えば25年間、「女子」っぽいこととは縁遠い人生だった。
幼稚園児の頃は自営業の祖父母に甘やかされ、周囲の大人が口を揃えて気の毒がるほどに肥え、
小学生の頃は「女子っぽいのが嫌」スピリッツをもつ食い意地の汚いオタク女になり、
中学生の頃は部活動を始めてそこそこ引き締まったにもかかわらずやっぱりオタク女で色恋おしゃれに無縁な日々を送り、
高校生の頃ようやく「女子」へのあこがれを抱いたものの、積み重ねてきた女子力の基礎がないためにオタク女の見当違いな背伸びにしかならず、
大学生の頃にはとうとう金に物を言わせて女子力を高めようとしたけれど、引きこもりだわやけ食い気味だわでなかな身にならなかった。身についたのは贅肉だけだった。この時の体重が自己ベスト。もちろん重い方に。
25年の大半をオタク女として過ごしてきた私だけど、こう思い返してみると、年頃からそれなりに「女子っぽさ」を意識していた。
ただ自信とか勇気とか、そういうものが圧倒的に足りていなくて、自分やら世間やらに「興味ないし金の無駄!」と誰も聞いちゃいない言い訳をしながら、自ら遠ざけていた。
コンプレックの凝り固まり具合といえば、釘を打てるほどだろう。
とはいえ、意識をしているくらいだから、憧れはある。
自分を卑下してもしきれないくらい、強い憧れが。
ほんとは、スカートを履きたかった。
ほんとは、ピンク色の服が着たかった。
ほんとは、メイクで綺麗になりたかった。
ほんとは、痩せて華奢になりたかった。
ほんとは、
ほんとは、
ほんとは、女の子らしくなりたかった。
そうしてきづいた。
私の青春、後悔だらけじゃん、と。
後悔しかないわけじゃない。
楽しいこともたくさんあった。
少ないけれど友達もいる。
安月給でも収入もある。
でも「女子っぽさ」「若さ」はもう私の人生から奪われつつあって、もうこの先二度と手に入れることのできないものだと思ったら、猛烈に惜しくなった。
昔の詩人があるとき詠った、「わたしが一番きれいだったとき」がもしも今だったら。
あとは失われていくだけだったら。
いまのままだと、歳をとった私が思い返せる「わたしが一番きれいだったとき」はあまりにも少ない。一日あれば余裕で周回できる。もしかしたら半日もかからないかもしれない。
大して反芻する思い出もない私はそんな追憶にも早々に飽きて、僻み根性でもってそのとき「一番きれいな」若者をネチネチネチネチdisるのだろう。
やれ化粧が下手だの、似合わない服を着ているだの、若いからってチヤホヤされるだの!
自分の化粧が下手だからって、自分が何を着たらいいかわからないからって、自分が優しくしてもらえないからって、他人にまでケチをつけるようになったら人間おしまいだ。
そういう惨めなババアは、若さ以外しか取り柄のないありし日の自分によく似た若者まで平然とdisるだろう。もはやホルモンバランスに踊らされ理性を失うばかりの獣。
いつしか若手からこう言われるのだ。
「見なさい、あれが哀れなヒステリックババアの末路よ」と。
だから私は立ち上がる。
いつの日か、ババアになる私のために、今のうちにできるだけ「若さ」を謳歌しようと。女子力を上げていこうと。
歳をとった私が、思い返して力にできる思い出を増やせるように、
歳をとった私が、惨めで虚しい思いを出来るだけしないように。
もちろん、今の私が明るく生きていくためにも。
願わくば、この道の先にあるババアの私に、幸多からんことを。その心が平穏のもとにあらんことを。